SAMMY TREATMENT
スペシャリストインタビュー
静岡県富士宮にある人気サロン「Top Style」の2代目店長を務めた渡井タケトさんが、2019年3月自由が丘にオープンした「Watai」。
お客様の“なりたい”を実現する美容師としての真っすぐな信念で【サミートリートメント】を爆発的人気メニューにした秘訣、そして【サミートリートメント】の魅力をうかがいました。

PROFILE
Watai代表 兼 トップスタイリスト
渡井 タケトさん
想いを言葉で伝えてくれる真っすぐな人柄で、お客様だけでなくスタッフからも愛される渡井さん。
美容師を目指したきっかけは元々芸術系が好きで「総合芸術なら色んな世界に行ける」と思えたから。
2005年に早稲田美容専門学校を卒業し、カナダへの留学、TAYAの店長を経て美容師である父のサロンの2代目店長に就任。
自分自身の可能性を常に意識し、“20代、30代のビジョン”を確実に実現してきた有言実行の人。
店長を務める富士宮の人気サロン「Top Style」を退職し、2019年3月に自身のサロン「Watai」を自由が丘にオープン。


Wataiオーナー 渡井 タケトさんのヒストリー
人気店の店長を務め、独立へ

―2019年3月に「Watai」をオープンされましたが、起業に至るまでの経歴を教えていただけますか。
2005年に早稲田美容専門学校を卒業し、カナダへ1年留学していました。父が美容室を経営しているので、いずれは継がなければいけませんし、その頃にはサロン自体をある程度のレベルまで上げておかなければと思ってずっとやってきました。僕は40歳でこれを実現すると考えて全て行動しているので。
一番大事なのは、都内のお店だけじゃだめということ。東京のサロンで1番というのとは違うのです。
やっぱり地元が大事ですし、地域のためにも地元のお店を上手くいかせる必要があります。
そういうこともあって、上場会社でもあり、当時業界で一番上手くいっているサロン「TAYA」に入社しました。ここでは主に教育を任され、20代で店長に。教育を学ぶことで、色々な知識と経験を積んだのです。
その後、父の経営する富士宮の「Top Style」にアシスタントとして戻り、1年で店長まで昇格しました。「Top Style」では4年7か月程サロン運営や経営を学びましたね。
―40歳で実現ということですが、40歳で地元に帰り後を継ぐという明確なビジョンがあるのですか?
そうですね。40歳になったときに完成できるようにずっと動いているのです。必死でやっても20代で売上があがらなかったらもう違うし、30代でスペシャリストになろうと決めていました。
現在30代ですが、他の商材のアンバサダーやハイライトのスペシャリスト、そしてサミートリートメントのスペシャリストにもなっています。
特に今は、若い子たちに技術を教えるのが役目だと思っています。
―運営や経営にも携わっていた「Top Style」を辞めて独立ということですが、率直にどうしてやめようと思ったのですか?辞めるのは簡単ではなかったのではないでしょうか。
簡単ではなかったですよね。でも当時29歳で、30歳までに自分の基盤を作りたかったのです。
これ以上ここでやれるというイメージもできなかったですし。
教育や売り上げのことを考えると心配はありましたが、任せられるスタッフがいてくれたのも大きいですね。
父の店を辞めるからこそ、今のこのサロンには父の名前を付けたのです。
「Watai」の名に込められた想い
日本の美容室は名前が難しいというのがあります。カッコよくてオシャレな名前を付けがちですが、実はトップサロンは社長の名前がついているところが多いのです。
サロンに自分の名前が付いているというのは、その社長がすごいという象徴でもあり、そこに集まってくる仲間もファミリーネームを掲げてくれるわけです。
僕は「渡井」という本家への重さを感じ、それを守りたいと思っているので、感謝を返せる一番の方法だと思っっています。
―日本人だからこそ自分の家を継ぐ、守るという意味でも命名されたのですね。一般的に自分の名前を付けるのはどこか恥ずかしさを感じるのかなと思いますが、それはなかったですか?
恥ずかしいとうことは自信のなさの表れですよね。僕はむしろ「渡井」という個性を引き立てながら生きたいです。
そしてそのファミリーネームを背負ってくれるスタッフにも「Watai」として技術よりも大切なこと、人として当たり前の礼儀や返事、挨拶などをうるさくいっていますね。