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SAMMY.NYC

東京都を中心に全国のサロンで導入されている酸熱トリートメントブランド

© 2018 SAMMY.NYC Inc.

SAMMY TREATMENT

スペシャリストインタビュー

表参道の落ち着いた住宅街。一歩足を踏み入れると煌びやか内装に気分が上がり、独特の世界感を感じられる人気サロン「MaxBlonde」。この地で26年間オーナー兼トップスタイリストを務めるのが、PARIS・NYコレクションでも活躍する波多晋さんです。

美容の本場ニューヨークで経験を積み、最先端の技術と情報を持つ波多さんが今最も注目するもの、それが「サミートリートメント」。“サミートリートメントは間違いない”と確信した、その理由をうかがいます。

PROFILE

MaxBlonde代表 兼 トップスタイリスト

波多 晋さん

1970年生まれ。誰もがロックンローラーに憧れていた1980年代、中学生だった当時から本格的なリーゼントを自らセットし、その上手さから友達や先輩のヘアセットも行っていた。

誰かの髪をセットすることの楽しさを知り美容師という職業を志すようになる。

若い頃から修業を積み、24歳でMaxBlondeをオープン。リーゼントの腕は一流で、あの高橋ジョージさんのヘアセットを手掛けるほど。そして人生のさらなる目標を与えてくれた「緒形拳さん」の言葉によって、単身NYへ。

日本とNYを行き来し、現在も毎シーズンPARIS・NYコレクションにヘアデザイナーとして参加している。多くの有名芸能人を虜にする確かな技術と、愛されるその人柄で幅広く活躍中。

 

MaxBlondeオーナー 波多 晋さんのヒストリー

 

名俳優 緒形 拳さんとの絆

「緒形拳さんがかけてくれた最後の言葉、“お前はアメリカ行けよ”が勇気をくれた」

―波多さんといえば、日本の名俳優、緒形 拳さんのヘアメイクも担当していたそうですが緒形拳さんにはどのくらいついていたのですか?

 

15 年くらいでしょうか。

専属でヘアカットや撮影時のヘアデザイン、メイクアップを担当していました。

時には大河ドラマの撮影現場まで呼ばれ、『なるべく波多に髪も顔もやって貰いたい』と言って頂き、時代劇のメイクアップの仕方、カツラの付け方、そして、『大河ドラマの進行の仕方を学べ!』と、ありとあらゆる事を仕込まれましたね。

 

 

―それだけ緒形拳さんに信頼されていたということですよね。大河ドラマの現場なんて初めての経験だったのではないですか?

 

はい、ヘアメイクとして、時代劇の撮影に。しかも大河ドラマの現場での仕事は初めての経験でした。

緒形 拳さんとは初めての素晴らしい経験を沢山させてもらいました。

 

―他にはどんなことがありましたか?

 

実は緒形 拳さんは、過去にハリウッド映画の出演オファーを断ったんです。まさにこの席で。 

当時断った理由は、ちょうどご自身の主演映画の撮影とかぶっていたり、色々とお有りになったかと思いますが、その後洋画についてお話ししている際に、『ハリウッド映画やってみるかな』とおっしゃったり。

時には、『ハリウッド映画のオーディションを受けてみるか!』『その時は、一緒に行くか?』とおっしゃって下さり…

それは、鳥肌が立つほどの嬉しい言葉でした。

 

 

―日本を代表する大御所緒形 拳さんが70 歳間近でオーディションに挑戦…それはすごいチャレンジ精神ですね。

 

でも、その時には病に気がついていたのかもしれません…

ハリウッドデビューの夢はついに叶いませんでした。 

一緒に仕事をした最後の撮影の後、検査入院に行かれると聞かさせれ、帰り際に「お前はアメリカ行けよ!」と肩を力強くバーンと叩かれたのです。それかが緒形 拳さんの最後の言葉でした。

美容の本場 ニューヨークへの挑戦

―最後の言葉は自分が果たせなかった夢を波多さんに託したような、そんな風にも受け取れます。波多さん自身もアメリカに行きたいという想いがあったのでしょうか?

 

そういう話はしていたけれど、緒形さんあっての僕だと思っていたので。でも、いざ緒形さんがいなくなってからは、心にぽっかりと大きな穴が開いたような状態だったのです。 

今思えばそれを埋めるためというのもあったかもしれません。その後、店をスタッフに任せながら単身アメリカに行こうと決めました。

でも緒形さんが挑戦していたハリウッドではなく、美容ならニューヨークだと思ったのです。

 

 

―なるほど。寂しさもあったけれど、ある意味緒形拳さんが背中を押してくれたんですね。初めてニューヨークに行ったのはいつのことですか?

11年ほど前、40歳の時ですね。ガイドブックに載っている美容室をひたすら回って挨拶をしながら、「日本人はいますか?」と。当時は英語も全くしゃべれず、ひたすら美容室を回っていました。

 

―知り合いやコネクションもないのに飛び込んでいくってそれってすごいことですね。そこまでしてやりたい何かががあったのですか?

今思えばすごいですよね。やりたいことがあったというより、こっちで何かやってみたい!という感じ。「何やりたいの?NYコレクションとか?」と言われて、「そう、それそれ!」そんな感じでした(笑)。

―とにかく何か新しいことに挑戦したかったんですね。緒形さんのアメリカ、ハリウッドで挑戦したいという、その意志を受け継いだようにも感じます。実際にはどんなことをやりましたか?

 

公園の道端で持って行っていたエクステンションを無料で付けてあげるよ、というパフォーマンスのようなこともやりましたね。冷たい反応でしたけど(笑)。 

それから仲良くなったサロンに行って、ただひたすら施術を見させてもらっていました。雑誌を揃えたり、床の掃除手伝いたいなと思いましたが「それは担当の人がいるから」と教えて貰いました。

 

日本では、心地よい空間をつくるのも僕らの仕事ですが、NYの高級サロンではそういうことはスタイリスト の仕事ではないという考え方でした。 あくまで、スタイリストはお客様を喜ばせること、それに徹していたのです。